3年前のこと

2011年3月11日、目が覚めると外は大雪でした。
http://blog.communes.jp/ridayu/entry/203

雪かきをしながら雪灯籠を山のように積み上げた朝。
2011-03-11 002

午後からは小学校へ通信簿をもらいに行く日。娘は早めの下校で帰宅しています。
約束の時間に間もなく家を出ようとした時、地震が発生。
最初は怖がることもなく揺れが収まるのを待っていましたが
大きく止まらぬ揺れに恐怖を感じて机の下に隠れるよう大声で叫びました。
湯治で滞在中のお客様も部屋から出てきたので身の安全を確保しながら
テレビの前で揺れが収まるのを待ちました。
長い長い!このまま止まらないのでは?と思った長い揺れ。
ようやく収まってきたころには放心状態。
幸い停電にもならずライフラインに影響はありませんでした。
通信簿もらいを断り、テレビで様子を見つつ仕事を始めます。
予約のお客様が到着しましたが、余震がひどいため宿泊はキャンセルし
夕食を召し上がっていただいた後にお帰りいただきました。

それから数日、被害無く生活ができているものの地震で起きた現実が
テレビで放送され、これからどう生きていけばいいのかという不安な日々。
世の中は自粛ムードとなり娘の卒業式を公に祝うことはありませんでした。

仕事のほうは宿泊支援というかたちで被災された方を請け負いました。
この頃、匿名のコメントで「旅館で宿泊できる施設は無料で開放すべきだ」
「こんな時まで避難者から金をとるのか」という非難で傷心しています。

4月に入ると春の陽気がおとずれ、梅林公園では梅が咲きました。
そして地元のかたから予約が入るようになりました。
「遠くに旅行へ行くのは不安なので近場に泊まってみることにした」
「近いけど湯田川を利用したのは初めて。旅行気分を味わえた」と
地元の方に利用していただくいい機会でもありました。

少しづつ、少しづつ、復興という言葉を耳にして
お金を使ってくださいという流れになり経済を回すようになってきました。

4月9日、娘の入学式。その前の晩に大きな余震がありました。
http://blog.communes.jp/ridayu/entry/213
山形全域停電です。長い停電で非常灯のバッテリーも切れました。
真っ暗闇で何の音も聞こえない初めての体験。
入学式という節目の行事を不安なまま過ごしました。

それから3年、がんばろう東北、前向きに生きる被災地の姿。
いまもなお不自由な生活をされている方もいることでしょう。
日々の生活でふと思い出し、災害時の対策の心構えを忘れずに
そして泊まりにきてくださったお客様、支えてくれた方々への感謝。

現在、もう間もなく娘が中学校を卒業します。
3年が過ぎ、この度の卒業式では祝賀会が催されます。
3年前、祝うことを自粛した分、今回の卒業式には強い想いを寄せています。

先日、3.11キャンドルナイトのロウソク作りに参加しました。
娘とお友達も一緒。
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娘達に「なんでこういう働きをしているか分かる?」と聞いてみると
「うん。分かってる」という返事が返ってきました。
学校でも話し合いの場が持たれて過ごした3年間だったことでしょう。
考える力、助け合う心などを学ぶ機会でもあった気がします。

この先も何が起こるか分からない世の中。
でも私は今自分にできることしかできません。
目の前のお客様がお帰りの時に笑顔でいてくれること。
そしてそれを見送れることが仕事のやりがいです。

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